私は嘘つき?
こう言われた場合,はたしてその人は本当に嘘つきなのでしょうか?
「私は嘘つきです」と言った人をAさんとしましょう.
この場合Aさんは嘘つきか正直かどちらかのはずです.両方に対して仮定をしてAさんが正直か嘘つきか考えてみます.
- Aさんが正直者だった場合
- 「私は嘘つきです」という言葉は本当のはずです.だからAさんは嘘つきのはずです.しかし,Aさんは正直者だと仮定したはずです.これは矛盾します.だからAさんは正直者ではありえません.
- Aさんが嘘つきだった場合
- 「私は嘘つきです」という言葉は嘘のはずです.だからAさんは正直者のはずです.しかし,Aさんは嘘つきであると仮定したはずです.これは矛盾します.だからAさんは嘘つきではありえません.
おや? なんか不思議ですね.
「私は嘘つきです」といったAさんは正直者でも嘘つきでも,どっちもありえないのです.なぜなら「私は嘘つきです」と言った瞬間にAさんはどうにもこうにも矛盾した人間になるからです.
つまり,これは「私は嘘つきです」という言葉は聞き手になんら一切の情報を与えない事になります.ここから分かることといえば,Aさんが矛盾しているということくらいです.(たぶん)
面白くないですか? 「私は嘘つきです」という宣言は,実はなんら意味のない宣言なのです.
では逆に「私は正直です」という宣言はどうなるのでしょう?先ほどと同じように「私は正直です」といったAさん,彼が正直か嘘つきか,両者を仮定をして検証してみます.
- Aさんが正直者だった場合
- 「私は正直です」という言葉は本当のはずです.だからAさんは正直者のはずです.だからAさんは正直者であることに問題はありません.
- Aさんが嘘つきだった場合
- 「私は正直です」という言葉は嘘であるはずです.だからAさんは嘘つきのはずです.だからAさんは嘘つきである事に問題はありません.
ほほう… Aさんは先ほどと違って矛盾しません.しかしAさんは正直者でも嘘つきでも,どちらでもAさんの「私は正直です」という宣言を満たすのです.
つまり,やっぱりAさんは正直者か嘘つきか判断できないことに変わりはないのです.
以上の議論をまとめると,Aさんが「私は正直です」とか「私は嘘つきです」とかどう自分のことを語ろうとも,聞き手はそのAさんの宣言からAさんが正直か嘘つきかを客観的に判断することができないのです.(たぶん)
なんか意外でしたね.もちろん,Aさんのことを無条件に信頼している人にとっては全く問題ないわけですが.
このことを考えていると,ふと昔の大学の講義のことを思い出しました.