アキレスと亀で見る哲学の片鱗

アキレスと亀が分からないというのでうまく説明する方法を考えてあげました.数式を作って極限の概念を持ち出せば,結局アキレスはある有限の時間内に亀に追いつけるということが一目瞭然に示せます.

私が知っているアキレスと亀はこんな話です.


アキレスという神様と亀がいました.

二人が競争をすることになりました.

当然,アキレスは亀より数十倍早く走ります.

だからハンデとして亀がちょっと先でスタートすることになりました.

さて,今よーいどんと両者一斉にスタート.

アキレスがさっきまで亀がいた位置まで走ります.すると亀が,たしかにアキレスよりも遅いものの,少し先に進んでいます.

アキレスがまたさっきまで亀がいた位置まで走ります.すると亀がやはりちょっとだけ進んでいます.

さて,コレを繰り返しているといつアキレスは亀に追いつけるでしょう?

永久に,追いつけませんよね?

この話,普通の人なら間違いなく混乱します.しない方がどうかしてます.

常識で考えてアキレスは間違いなく亀に追いつき追い越します.しかし上記のような思考をなぞると,たしかにアキレスは亀に永久に追いつけないような気がする.

そんなばかな

という話です(ゼノンのパラドックスというらしいです).

言葉だけでこのパラドックスのからくりを説明するのはかなり困難です.なぜなら厳密に言うとこの思考実験ではアキレスは,確かに,亀に永遠に追いつけないからです.どんなにがんばって言葉で説明しても,説明する側的にも,「追いつくはずなのにアキレスは亀に永遠に追いつけない」という根本的な部分は否定してあげることができず,結局混乱をといてあげることができないからです.

数式で説明すると,一応,一目瞭然な答えが出ます.このパラドックスの肝は,試行回数と時間の概念が曖昧になって説明されているため,無限の時間を経てもアキレスが亀に追いつけないという錯覚に陥ることです.

簡単だったので興味があれば一回図を描いてやってみてほしいのですが,数式が示してくれることは,「アキレスが無限回の試行の後に亀に追いつくことができる」ということと,「各試行にかかる時間は試行回数を増やすごとに減少するため,トータルで見たとき(無限の試行回数分の経過時間を足す)には有限の時間で収まっている(総経過時間は等比級数であらわあれ,さらにそれが収束するタイプのものになるから)」ということです.

今回日記に書こうと思った理由は,「アキレスが無限回の試行の後に亀に追いつくことができる」というのが,数式を作っているとき,説明を考えているときに引っかかったからです.この数式による説明では結局アキレスは亀に追いつけないのです.

アキレスが無限回の試行の後に亀に追いつくことができる,というよりも,アキレスが無限回の試行の後に亀に追いつくことができたとみなせる.といったほうが数学的には正しいのだと思います.

私は数学者でないのでなんともいえませんが,数学では無限小と0を同一視するというルールがあるだけにすぎないのだと思います.私たちの信念にしたがって考えると,無限小と0は違うはずです.だから数式による説明は私たちの根本的な疑問に対する回答になってないのではないか,と思ったのです.

つまり,数式のルールを使って疑問をぼやかしているだけのような気がするのです.(もちろん数学も哲学ですから,そのルールの背景に深い哲学があるのだということは疑いません)

私たちが感じる疑問の本質は「客観的な事実としてアキレスは追いつき追いこすはずなのに,なぜこの自然な思考にしたがって考えると客観的な事実にたどり着けないのか」ということではないでしょうか? 別に追いつくまでかかった時間が有限に収束しようがしまいが,どうでもいいのです.なぜ私たちの思考が客観的事実に追いつかないのか,合わないのかが疑問なのだと思うのです.

もう眠いので中略です.

私的な結論をまとめると,どうもこの疑問は無限という感覚が私たち人間に備わっていないのが理由であるような気がするのです.私たちは無限が満ち溢れた世界に住んでいるのに,それを客観的に感じることができていない(少なくとも私は感じない).しかしどういうわけか無限という概念を主観で持っている.そのギャップが問題になっているのかもしれません.

零であり有である点という概念がそうであるように,百が一であり一が百である無限という概念もまた人間の主観にしか存在しない,単なる概念なのかもしれませんね.

そう考えると,人間が無限に対する感覚を持っていないのではなくて,私たちは無限なんて存在しない世界に生きているのにも関わらず,無限という概念を持っている.というのが正しい気がします.詳しいことは知りませんが,現在の宇宙理論でも無限という概念に一番近いと思われがちな時間というものにも始まりがあって終わりがあるらしいじゃないですか.

「人間は個々に内なる宇宙を持つ」なんて,カッコいいだけじゃなくて,うまい言い方ですね.

主観といえばカントな気がします.機会があればカントも調べて書いてみたいな.